天満宮(本地堂)



学問の神様  菅原道真公がお祭りされています
古くは 日本には天の神への信仰がありました。天は農耕に必要な恵みの雨をもたらす反面大雨・ひでり・雷などのように人々に災いをも、もたらします。古代の人々は、人知を超えた天の動きに畏敬の念をも抱き、農耕の神として「天の神」を祀りました。
 道真公が藤原時平の中傷により、大宰府に左遷させられ、59歳で悲しみのうちに亡くなられた後、御所に雷が落ちたり、藤原時平が亡くなるなど、京都では様々な異変が起こりました。
 人々は不正義を憎む「天の神」が道真公の不遇の死を嘆き災いをもたらしているに違いないと考えました。これらの災いを鎮めるために道真公への信仰が始まりました。
本 地 堂
現在の天満宮は、もともと戸手祇園社(早苗山天竜院天王寺)の本地堂として建立されており、現在の社殿は延享3年(1746)に福山藩寺社奉行に対して本地堂の再建を申し出、延享5年(1748)の再建されたものです。
その後、明治の廃仏毀釈により取り壊されるところを、天満宮に変更して現在まで伝えてきました。 
再建時からの改修の痕跡は、明治初期の廃仏毀釈の際になされた若干の改変のみで、当時の様子がほぼ完全に保存されています。
平成10年(1998)に建物老朽化のために屋根の全面葺き替えと若干の修復を行い再建時の姿に復元されました。