歴 史


神社名の変遷
 奈良時代のはじめに編纂された備後風土記に当社の名称、疫隈国社がでています。
仏教が伝来し、本地垂迹説(注1) 影響を受けて神社名が祇園社、天王社、江熊祇園牛頭天王社と呼ばれていました。
明治時代に出された神仏分離令により、神社名に仏語を用いることが禁じられたため、現在の神社名である素盞嗚神社に改名されました。
 (注1) 仏が本地であり、神は仏が迹(あと)をたれて、人々を救うために 現れた仮の姿であるとする考え


年  表

         出  来  事
538 仏教伝来
600年代 素盞嗚神社創建(天武天皇)
713 備後風土記編纂
当社の旧名称(疫隈国社)が見られ、蘇民将来伝説の記述あり
734 吉備真備、唐より帰朝の際、備後より素盞嗚命の神霊を広峰に勧請奉祀せり
897 素盞嗚神社再興(醍醐天皇)
927 延喜式神名帳(当時の朝廷儀式、典礼制度、諸国恒例、神社名を記録した書物)
に当社の名が記載されている
本地垂迹説が起こる
神社名も祇園社、天王社、江熊祇園牛頭天王社と称されていた
1868 神仏分離令
神仏取扱方
 神社の名称に仏語を用いることを禁じたため、現在の「素盞嗚神社」に改める